[ 科学技術・大学 ]

革新の系譜・日本の科学技術力/スピントロニクスLSI、見えてきた実用化−待機電力ゼロのMRAMがIoTの主役になる日

(2016/9/23 05:00)

固体中の電子が持つ電荷とスピン(磁石の性質)の両方の性質を工学的に利用するスピントロニクス分野。世界中で活発に研究されている、今、最も勢いのある研究分野の一つだ。ひとくちにスピントロニクスと言っても幅広いテーマがあるが、半導体の集積回路と融合した「スピントロニクスLSI」の研究は近年進展し、実用化が現実味を帯びつつある。スピンを使った次世代半導体で日本は世界をリードする。

(藤木信穂)

【総合力が勝負】

  • スピンLSIの試作環境(東北大電気通信研究所付属「ナノ・スピン実験施設」のクリーンルーム)

スピントロニクスは基礎となる物性研究から応用を目指す工学研究まで、日本が強みを持つ代表的な領域だ。4月には、東北大学と東京大学、大阪大学、慶応義塾大学を中心とした横断型の研究組織「スピントロニクス学術連携研究教育センター」が発足した。

4大学にそれぞれセンターを設置し、多様な技術を連携することで、スピントロニクス分野全体の成果の底上げを狙う。産業技術総合研究所などの研究機関のほか、NTTや東芝、日立製作所、NEC、ソニー、TDKなど企業が参画する。東北大のセンター長を務める東北大電気通信研究所の大野英男所長は、世界で戦うには「総合力が勝負。ネットワークが非常に重要だ」と強調する。

これまでエレクトロニクスは、電荷の性質を利用する半導体素子と、スピンを利用するハードディスクなどの磁気記録素子を両輪に発展した。スピントロニクスはこの二つの性質を同時に利用する点で新しい。スピントロニクスの応用の一つが、磁気抵抗メモリー(MRAM)だ。MRAMは、電源を切ってもデータが消えない「不揮発性」を持つ。

LSIに搭載する既存の揮発性メモリーをMRAMに置き換えれば、消費電力を大幅に削減できる。待機電力がゼロの電子機器の実現も夢ではない。

電流がつくる磁場で情報を記録する初代のMRAMに対し、日本は2000年代初頭から、次世代の「スピン注入磁化反転型」MRAMの開発を加速してきた。ソニーが05年に4キロビット、東北大と日立が07年に2メガビット(メガは100万)のMRAMを試作した。これらは、基本構造となる磁気トンネル接合(MTJ)素子に情報を記録する際、磁性膜に対して水平に磁化させる「面内磁化方式」を使う。

だがその後、水平ではなく、垂直に磁化させる「垂直磁化方式」の実証に東芝が成功。東芝と産総研は08年に、垂直方式を採用した素子を世界で初めて開発した。同方式は大容量化が可能で、10年には東芝が64メガビットのMRAMを試作した。

【半導体業界と連携】

  • スピンLSIを形成した300mmウエハーを持つ大野所長

実用化に向けた突破口となったのが、大野所長らが10年に開発した新構造のMTJ素子。磁性層の素材はよく知られたコバルト鉄ボロンだが、この材料を当時の常識では考えられなかった1ナノメートル(ナノは10億分の1)台まで薄くし、酸化マグネシウムの障壁層との界面の「垂直磁気異方性」を大幅に増大した。

これで素子の微細化が可能になり、LSIへの搭載が現実的になった。瞬く間に世界中でこのMTJ素子が再現され、次世代MRAMの基本構造として浸透。初代MRAMも製品化されていたが、大容量化の壁に直面していた。やがて、スピン注入型のほかにも新たな記録方式が考案され、新型MRAMは実用化の段階を迎えた。

何よりインパクトが大きいのは、「半導体業界がやっと本格的に動き始めた」(大野所長)ことだ。大野所長らはその後、NECなどと共同で、内閣府の「最先端研究開発支援プログラム(FIRST)」でスピントロニクスLSIの開発を推進。14年に100万個超の素子搭載の大規模な集積回路を実証した。試作したスピンLSIはシリコンLSIの性能をすでに上回り、面積比×性能(遅延時間)比×消費電力比で64分の1以下を実現した。東北大には材料や素子の開発から回路設計まで、一貫したスピンLSIの開発拠点が構築されており、半導体メーカーなどと実用化に向けた連携が進む。

■不揮発性が武器、IoTの主役へ

【基礎と応用】

半導体スピントロニクスの歴史は、磁性半導体の研究から始まる。以前は化合物半導体を研究していた大野所長は、米IBMのトーマス・J・ワトソン研究所に客員研究員として赴任していた88年、「化合物半導体を磁性体にする」という挑戦的なテーマに挑んだ。当時、IBMにいたノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈氏のチームに配属され、江崎氏から「好きな研究をやっていい」と言われたという。

IBMで宗片比呂夫氏(現東京工業大学教授)と共に研究に取り組むと、研究はまもなく開花。磁性を持つマンガンを加えると、インジウムヒ素が磁性体になることを89年に発表し、さらに磁石になることも突き止めた。

半導体と磁石の性質を併せ持つ物質は以前からあるが、エレクトロニクス用の半導体が磁石になることを確認したのは世界初だった。96年にはガリウムヒ素が磁石になることを確認し、磁性半導体の存在が世界へ一気に広まった。

MRAMは情報の記録時に多くの電力を消費するため、記録し続けるには、従来の半導体メモリーの方が使いやすいと批判されたこともある。だが、IoT(モノのインターネット)時代には、不揮発性は武器だ。センサーが大量に散りばめられる将来は、機器を必要な時に動かす省エネ利用が主流になる。半導体スピントロニクスがいずれ、IoTの主役になるかもしれない。

半導体はかつて“産業の米”と呼ばれた。半導体と磁性体に橋をかけ、基礎と応用の研究を行き来してきた大野所長が目指すのが、現在のシリコンLSIをしのぐスピンLSIの実現だ。普及すれば、航空宇宙から自動車、スーパーコンピューター、人工知能(AI)まで、あらゆる産業にパラダイムシフトを起こす可能性がある。

(随時掲載)

(2016/9/23 05:00)

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