[ オピニオン ]
(2016/9/23 05:00)
落語には秋の噺(はなし)が少ない。すぐに思いつく『目黒のサンマ』の次が出てこない。ただ想像を広げることは可能だ。例えば遊郭が舞台の郭(くるわ)話。客と遊女との味のあるやりとりは、日暮れてしっとりとした刻限がふさわしい。
人情噺の『紺屋(こうや)高尾』は、商家の真面目な若者が大店の最上位の高尾太夫にひと目ぼれ。3年の間、一心不乱に給金をためて、金持ちの息子のなりをして会いに行く。「次はいつ来てくんなます」と尋ねる太夫に「実は…」と事情を打ち明ける。
一途な思いに打たれた高尾が、年季が明ける来年3月に女房にしてくれと申し出て夫婦になり、染め物の店を営む。5代目古今亭志ん生(故人)の一門などは、幾代太夫が餅屋を開く『幾代餅』で演じる。
高尾は何代も受け継がれた遊女の名で、仙台藩の内紛で知られる伊達騒動にも登場する。奉公人との純愛物語のヒロインがだれかは諸説あるそうだが、江戸の庶民のあこがれを集めた美談であったからこそ今日まで残った。
日刊工業新聞社の本社に近い日本橋人形町は、明暦の大火(1657年)まで吉原遊郭があった。秋分を過ぎれば秋の夜長の候。なじみの居酒屋の裏あたりが古典落語の舞台だったかと想像を巡らすのは楽しい。
(2016/9/23 05:00)