[ オピニオン ]
(2016/10/14 05:00)
「秋深き隣は何をする人ぞ」。何げない日常を切り取ったような句だが、秋のひっそりとした晩に隣の住人へ思いをはせた松尾芭蕉の温かみある秀句だ。温かさとともに、一種の寂寥(せきりょう)感も伝わってくる。
秋にはなぜか“もの悲しい”雰囲気が似合う。「秋風のヴィオロンの節長き啜(すす)り泣き」と上田敏が訳して有名になったポール・ヴェルレーヌの詩もある。「もの憂き哀(かな)しみにわが魂を痛ましむ」と続く詩からは悲壮感すら伝わってくる。
同じ秋でも時候のあいさつや観光地の修飾語で使われる「錦秋」はまったく別の印象を与える。錦の織物のように色鮮やかな秋。紅葉に染まる情景がまぶたに浮かんでくる。
食欲の秋、読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋というと、もの悲しさとは対照的にアクティブな季節を思わせる。暑かった夏が終わり、何をするにも良い季節ということだ。今年は読みかけの本を制覇することにしよう。
「女心(男心)と秋の空」は人の気持ちが変わりやすいことのたとえ。お年寄りの前で決して言ってはいけないのが「秋の入り日と年寄りはだんだん落ち目が早くなる」。嫌われるくらいでは済まないだろう。口は災いの元。「物言えば唇寒し秋の風」と芭蕉も言っている。
(2016/10/14 05:00)