[ オピニオン ]
(2018/11/19 05:00)
「銃撃されるかもしれないと言われ、車で移動の際は常に頭を窓より下げて乗っていたよ」。1970年代、韓国企業に製造技術を供与するため、ソウルに駐在していたある食品メーカー技術者の述懐だ。まだ軍事政権下の政情不安な時代。決死の覚悟で働いていたそうだ。
日韓国交正常化後、日本企業が資金援助や技術供与で韓国産業の発展を助けた事例は少なくない。鉄鋼大手の浦項総合製鉄(現ポスコ)などは有名で、それ以外にも、ほぼ無償で行われたケースもある。先の食品メーカーもその1社だ。
旧徴用工による損害賠償請求裁判の判決で、日韓関係悪化が産業界にも及んできた。企業間の投資や貿易が急速に冷え込む懸念もある。
半導体や鉄鋼、石油化学など広い分野で両国の結びつきは非常に強固だ。一部、双方から感情的で過激な主張も見られるが、一般市民の多くは穏便な解決と、経済的な恩恵を享受し続けることを望んでいる。
先の食品企業が無償協力したのは当時の社長の決断。日本が韓国を植民地にしたことへの贖罪(しょくざい)の念があったそうだ。韓国にもそれを恩義に感じている人がたくさんいる。請求権問題などに加え、両国にとって前向きな話を洗い出す時でもある。
(2018/11/19 05:00)