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【電子版・連載】出張中に遭遇した小さな事件簿 第20話「日本の創世記 今一度、日本を洗濯せねば!」

(2018/10/7 07:00)

  • さかい三十郎。彼は重工業メーカーで造船・プラント・工作機械事業に携わって40年の経歴を持つ出張多きサラリーマンである。彼はサムソナイト鞄(かばん)とバインデックス手帳を愛用している。ちなみにサムソナイト鞄は時に、新幹線の車内混雑時にはいすに替わる(イラスト:小島サエキチ)

 彼の名は「さかい三十郎」。正義感にあふれた庶民派である。そんな彼が出張時に出会ったノンフィクションのハプニングを「小さな事件簿」としてつづったのが本連載である。

 「本当にそんなことが起こるの?信じられないなぁ…」との思いで読まれる方も多いかもしれないが、すべてノンフィクション(事実)なのである。彼の大好きな「映画の話」もちりばめてあるので、思い浮かべていただければ幸いである。

 それでは遭遇した事件簿の数々をご紹介させていただく。

* *

 新幹線車内で再度読み返している文庫本がある。司馬遼太郎の「龍馬が行く」、「坂の上の雲」、「燃えよ剣」などだ。幕末や新生日本の隆盛を切り開いた時代・人物は興味深い。NHKは2009年から3年計画で「坂の上の雲」の制作・放映を初め、2010年の大河ドラマ「坂本龍馬」は大好評だった。

 種子島・鉄砲伝来を第1の開国(勢力争いが一変した)、幕末の黒船来訪を第2の開国、明治の日清日露戦争を第3の開国、昭和の世界大戦を第4の開国とすれば、今は中国・インドなどアジア諸国への進出をかける第5の開国を迎えていると言っても過言ではない。

  • (イラスト:小島サエキチ)

 なかでも第2の開国の“日本の夜明け”を実現したのは、幕府の許可なく出国し英国へ向かった人たちだ。彼らは「長州五傑」と呼ばれ、長州藩が外国の情報を得ようとして幕府の禁制を犯し渡欧させた人たちだが、その人となり・功績はあまり知られていない。

 最先端の工業技術を学び持ち帰った山尾、井上、遠藤、そして明治政府の重鎮として政界を歩んだ伊藤、井上の5人の方々の帰国後の功績は次のとおり。

 山尾庸三:造船を学び、後に東京大学工学部を創立(当時26歳)

 井上勝(野村弥吉):新橋~横浜間に日本初の鉄道を敷設(当時20歳)

 遠藤勤助:日本人の手による貨幣づくりに成功、後に大阪造幣局長(当時27歳)

 伊藤博文:初代内閣総理大臣で大日本帝国憲法を発令(当時22歳)

 井上聞多(馨):初代外務大臣であり、欧州化政策にも尽力(当時28歳)

 1863年(文久3年)、藩から一人200両支給され、駐日英国大使館に周旋依頼するが、渡航滞在費は一人1,000両要することが判明。留守居役の村田蔵六(後の大村益次郎、藩参謀役)が長州藩江戸藩邸に鉄砲購入資金として確保されていた1万両の中から補填した。

 彼らはまず上海に上陸した。その繁栄ぶりと100艘以上の外国船・蒸気船を目前にし、当時の思想である「攘夷・鎖国」から「開国」へと考えを変える。

 1865年(慶応元年)薩摩藩も19名を送り込み、ロンドンで上記の長州人と出会う。薩摩人は自分たち以外に国禁を犯している者がいるとは思いもしなかった。薩摩・長州は「禁門の変」以来仇敵の間柄であり、当初は警戒心をもって付き合う。やがて彼らは徳川幕府倒幕による近代国策が必至と考え、後に桂小五郎と西郷隆盛が両藩を代表し密かに結んだ“薩長同盟”につながる縁をもつ(龍馬の提案より早い時期)。近代日本の運命は遥かロンドンで出会った薩長の若者たちによりつくり出されたものであった。まさに奇跡の出会いと言えよう。

 幕末以降明治初期に「殖産興業」を目的として近代日本の建設に尽力された、いわゆる「雇われ外国人」として活躍された方々も多くいる。

 エルウィン・ベルツ:ドイツ人医師。1876年、明治政府の招きで来日し東京大学医学部の前身で26年間教鞭をとり、日本医学界に多大な貢献をした。

 フランツ・フォン・シーボルト:ドイツ人医師。オランダの軍医として1823年長崎・出島の駐在医師となる。若者に西洋医学を講義した。

 ジョン・ミルン:イギリス人技師。1880年に開設された日本地震学会の基礎を築く。1891年に濃尾地震が発生すると調査をもとに耐震化の研究を行う。世界で初めての取組みであり地震国日本を救う。

 パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲):アイルランド出身。1890年当時の文部省学務局長の斡旋で島根県尋常師範学校(島根大学の前身)、松江尋常中学校の英語教師となる。1896年東京帝国大学の英文学講師となり帰化し小泉八雲と名乗る。幼き頃に聞いた「怪談 耳なし芳一」(1904年)は今も忘れられない。

 ウィリアム・スミス・クラーク:米国出身。1876年札幌農学校(北海道大学の前身)の初代教頭。専門の植物学だけでなく自然科学一般を英語で教鞭。「Boys, be ambitious.(少年よ大志をいだけ)」の言葉が印象的。

 レオンス・ヴェルニー:フランス人技術者。1865年、造兵工廠(造船所)建設の責任者として横須賀に着任。江戸に近く、深い入り江があり建設用地と認定。関東地区4カ所の灯台(観音崎ほか)建設にも携わる。後に建設するアジア最大の造船能力・長崎造船所の建設にもかかわる(後に筆者が勤務することになり尊敬している)。

 エドモンド・モレル:イギリスの鉄道技師。新橋~横浜間に日本初の鉄道を敷くときにイギリス公使推薦により1870年に来日。これ以前はセイロンで鉄道建設を指揮。初代鉄道兼電信建築師長に就任。JR東日本グループのホテル・エドモントの由来。

 筆者が勤務するビルは品川近辺にあり、東海道線を利用するたびに品川~横浜間に鉄道が開通したことを思い浮かべる(1872年)。当時は汽車でなく“陸(おか)蒸気”と呼ばれ、鉄道建設工事に関わったのは上記のモレル氏。半年後、新橋に横浜と同じ駅舎が建てられ、新橋~横浜間が全線開通する(1日9往復、片道53分で運行)。

 当時の庶民生活を知るには“乗車心得”が役に立ち面白いので紹介したい。

① 15分前に切符を購入のこと。

② 手荷物にはすべて姓名を記載するか目印をつけること。

③ 吸煙車以外の喫煙は禁止する(当時から分煙されていたことに驚く)。

④ 乗車券は当日一度限り有効で、5~12歳は半額。犬1匹につき片道運賃が必要。

 さらにこんな言葉も。「発着時刻は所定どおりには請け合いかねるが、なるべく大遅れしないようにとり行う」

(雑誌「型技術」三十郎・旅日記から電子版向けに編集)

(2018/10/7 07:00)

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