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オオタ自動車工業の創業者である太田祐雄氏(56年死去、享年71)は発動機の設計製造に独自技術で挑戦し、小型自動車「OS号」や「オオタ号」の開発などを通じて純国産技術を開拓。

タイで奮闘する日系企業として、現地部品メーカーに買収された自動車金型の世界最大手オギハラと、東京・大田区の支援で開所した「オオタ・テクノパーク」に入居する金型部品メーカー南武を対比していた。

その後同年11月、大田区産業振興協会が同区中小企業向けにアマタ・ナコーン工業団地内に設立したオオタ・テクノ・パークに工場を設立。

大田区では安定した経済成長を続けるタイに着目し、現地の工業団地と提携して「オオタ・テクノ・パーク」というレンタル型集合工場を06年6月に発足させた。

大田ブランドは「オンリー・オオタ・クオリティ(OOQ)」を旗印に技術力とモノづくりへの情熱を持った企業を集め、2006年から始めた。

そして「オンリー・オオタ・クオリティー」を合言葉に地域全体で売り込んでいる。

同社は大田区が06年にタイ・バンコク郊外に開設した工場アパート「オオタ・テクノ・パーク」に入居しているため、意見交換も活発だった。

日本に自動車が登場した明治期から3代にわたり引き継がれてきたオオタの技術は次の舞台でも活躍が期待される。

【現場にこだわり】 タマチ工業を設立した時、父の祐茂は「もうオオタの名前は会社につけない」と語ったという。自動車の黎明(れいめい)期から前身のオオタ工業は最先端を走り続けていた...

後に独立して、手先の器用さを生かしてオリジナルの小型試作車OS号やオオタ号を製作した。 ... 社名をオオタ自動車工業に変えて復活したが、朝鮮特需に乗り切れず倒産。... ここで、明治期から技...

07年からはタイのオオタ・テクノパークに進出して生産を拡大している。

続けて、濱岡平一大田区産業振興協会理事長が「OOQ(オンリー・オオタ・クオリティ)を旗印に大田ブランドを進めている。

大和産業(東京都大田区、丸山和重社長、03・5748・7521)は、タイ・バンコク郊外の「オオタ・テクノパーク」に進出する。... オオタ・テクノパークは大田区産業振興協会と、タイ・ア...

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