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【電子版・連載】出張中に遭遇した小さな事件簿 第29話「型技術との出会い」

(2018/12/9 07:00)

  • さかい三十郎。彼は重工業メーカーで造船・プラント・工作機械事業に携わって40年の経歴を持つ出張多きサラリーマンである。彼はサムソナイト鞄(かばん)とバインデックス手帳を愛用している。ちなみにサムソナイト鞄は時に、新幹線の車内混雑時にはいすに替わる(イラスト:小島サエキチ)

 彼の名は「さかい三十郎」。正義感にあふれた庶民派である。そんな彼が出張時に出会ったノンフィクションのハプニングを「小さな事件簿」としてつづったのが本連載である。

 「本当にそんなことが起こるの?信じられないなぁ…」との思いで読まれる方も多いかもしれないが、すべてノンフィクション(事実)なのである。彼の大好きな「映画の話」もちりばめてあるので、思い浮かべていただければ幸いである。

 それでは遭遇した事件簿の数々をご紹介させていただく。

* *

型技術との出会い

 筆者が型技術と出会ったのは小学2年のときと記憶している。昭和40年頃、休日になると校庭の片隅に1人のおじさんが店を広げた。小遣い10円を支払い、手にした粘土を型に入れ、完成したモノの表面に金銀の粉を塗り、うまく仕上げると評価点カードをくれた(会社でいう技能検定試験の評価みたいなものか。型はヒーローの顔であった)。この評価点を集めると(今でいうポイントカード制)、店の前に展示してある(当時流行っていた)七色仮面、月光仮面、まぼろし探偵などのお面(100円相当)がもらえる仕組みである。しかし、1カ月程度経ち少年たちの点数が集まり始める頃、店は他地域へ移動した。つまり子供たちが集めた点数(使った小遣い)は反故となる仕業であった。

鏡餅に応用した型技術

 生まれ育った家業は団子屋であり、手伝いで団子を丸めていた(掌を球形の型にした技である)。また年末は副業として餅も製造・販売していた。市役所・銀行・映画館などの玄関に展示される“鏡餅”も受注していた。小学5年から祖父・実父に代わり、この商品作製を任された(上段φ300、下段φ400mm程度の重ね餅である)。腰高く、丸く、表面にヒビが出ないよう、餅の周囲を丸め続ける作業を約1時間休むことなく続ける重労働であった。このとき、思いついた秘技がある。ケント紙を幅50mm程度に重ねて折り、餅の周囲に沿わせて型をつくることだ。うちわでそよ風を送り、徐々に冷やしながら固めていく製造法である。完成品の品質はよく、顧客の評判もよく、映画館に展示された鏡餅を見に行くと、劇場主から無料鑑賞券とキャラメルをもらったこともあった。

プラモデル、玩具品も型技術

 戦艦武蔵やサンダーバード秘密基地、戦車などの射出成形機(型)により成形されるプラモデルは、当時の小遣い10円/日の時代では手にすることができず、ショーウインドーから眺めるだけであった。その反動で(子育てを終え、家のローンに目鼻がつき)、最近はちょっと高価な模型の収集に手を染めている(船・飛行機など重工製品が主)。

 当時一番の人気おもちゃであった“銀玉ピストル”でも遊んだ。「コンバット!」(米国の戦争テレビドラマ)の放映による影響だが、5人一組で複数組と戦う遊びがあり、上級生・軍曹の指令のもと敵陣へ駆け込んでいた。へたをすると敵陣前で花火の2B弾やダイナマイトが飛来する、今の環境では許されない危険な遊戯であった。

鉄工所で見た型技術

 自宅近所に住む同級生の家業は鉄工所であり、銑鉄を溶解し砂型へ流し込み、冷えた時点で砂を取り外すと漁船の碇(鋳物)に変身していた。“鉄は熱いうちに打て”を実感した小学6年生であった。

造船現場で出会った力技の型技術

 長崎造船所に入社し、工作現場で見た製造技術には驚愕した。船体となる外板鋼板を熱し、木枠にそらせて、見事な三次元曲線にする型技術であった。その後、ドック内でリベット打ちされ、船体がつくられていく艤装工事は今も忘れない。

家電製品は型技術の恩恵品

 2010年代になって日本家電メーカーの衰退が毎日のように報道され、誠に残念だ。なぜなら家電製品には型技術の一環である“ダイカスト用・プラスチック用金型”によって成形加工されたボディ・部品類が多く採用されているからだ。なかでも洗濯機とテレビの黎明期は忘れられない。

洗濯機の思い出

 家電製品は1960~70年代(昭和35~45年)の一般家庭に文化的生活をもたらしてくれるとともに、人々を家庭の重労働から解放してくれた優れモノである。その代表は洗濯機だろう。幼い頃、おふくろと一緒にタライ内の下着を洗濯板で洗った記憶があり、わが家にこのマシンが届いたときの母の驚きと嬉しそうな表情は、今も瞼に残っている。

 1970年3月~9月に開催された大阪万博で人気を博したモノの中に“三洋電機の洗濯機”があり“人間洗濯機(ウルトラ・ソニックバス)”と呼称されていた。未来デザインのカプセル内にモデルが水着姿で入浴すると、超音波とマッサージボールにより洗浄され、“美容と健康に効果あり”との宣伝文句で人山を築いていた。まるでマンガ「ドラえもん」の妹であるドラミちゃんの秘密道具の“全自動せんたくぶろ”を実現したようなものだ。

 当時の井植歳男社長は洗濯板とタライを使っていた重労働の洗濯事情を改善するべく市場参入を決意し、1953年に日本最初の「噴流式洗濯機」を発売する。この年が電化元年とも言われ、家庭電化製品の普及が加速し始めた。

テレビの思い出

 万博の7年前、初のテレビアニメ「鉄腕アトム」が放映され、テレビの普及が加速していった。

 当時、生家のテレビは白黒であったが、父はカラーテレビに変身させるべく1枚のパネルを購入してきた。上部は赤、中部は青、下部は黄色の3色に区分されており、ブラウン管画面に被せると、誠に奇妙な人物が映し出されていた。当時放映されていたドラマ「恐怖のミイラ」が放映されると不気味な画像になっていた。

車も型技術の恩恵品

 幼き頃、車体材料を“鉄から粘土か樹脂”に変更し、安全(クッション)・軽い・手頃な車を夢見ていた。車体重量の軽減により“飛ぶ自動車”にもつながると思っていたからである。

 遂に夢見ていた車が実現するときがきた。高強度・軽材料の炭素繊維を使った自動車部品事業が始まったからだ。車の主力素材である鉄に比べ比重1/4で強度はほぼ10倍、また燃費規制に対応するための軽量化に欠かせない素材である。加工しやすいように炭素繊維に熱可塑性樹脂を混ぜて射出成形機を使ってドアパネル・屋根・ボンネット・プラットホームまでも生産される。本構成により重量は200kg前後軽くなるうえ、衝撃にも強くなる夢の車である。

 型技術との出会いは古く約50年続いているが、さらに技術発展することを祈念している。

(雑誌「型技術」三十郎・旅日記から電子版向けに編集)(おわり)

(2018/12/9 07:00)

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