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記事検索結果
294件中、9ページ目 161〜180件を表示しています。 (検索にかかった時間:0.004秒)
信頼がビジネスチャンスに 最初は「NECさん」、それが次第に「研究所の人」と呼ばれるようになっていた。福地裕文が日本電機研究所に入社して東京で営業を担当していた頃、出勤先は顧客のオフ...
制御盤メーカーに成長 「ちょうど亡くなる直前に、創業からの昔話を延々と聞いた。1日千円もらえたので、アルバイトみたいなものだった」。社長の福地裕文は創業者である祖父の武史から受けた“...
従業員や協業先との「人とのつながりを大切にする」(二九)姿勢も、人を大切にする経営学会(東京都千代田区)の「『日本でいちばん大切にしたい会社』大賞」の審査委員会特別賞受...
自動化による利益還元 「従業員を幸せにするにはどうしたら良いか」―。ツー・ナイン・ジャパン(京都市南区)社長の二九規長はいつもこう考え、施策を実行してきた。錠剤製造用...
新事業で信頼構築・成長 表面処理用コーティング装置の販売会社として1989年に設立したツー・ナイン・ジャパン(京都市南区)。当初は半導体業界向けの仕事がメーンだったが...
製薬企業の課題解決 人あるところに薬剤あり。世界規模の感染症や健康志向の高まりで、医薬品やサプリメントのニーズが高まっている。経口用はカプセル・粉末状などの形状があり、誰もが一度は服...
現在のエイムは毎年、経営計画書を策定して年1回経営計画発表会を行っている。経営計画書の冒頭には、これから先の1年間どう経営にあたるかを「社長の思い」として記す。... 経営発表会で提案し、社員の賛成を...
溶接技術が夢つなぐ 溶接を核に技術を磨いてきたエイム。2006年、ある商社からYAGレーザー溶接機を作らないかと開発を持ちかけられる。紹介を受けた溶接機の技術者と連携し、図...
失敗が糧、技術・知識残る 中小企業で自社製品を持ちたいと思う企業は多い。しかし、自社製品を一から開発してメーカーとなれる企業は少ないのが実情だ。エイムはファイバーレーザー溶接機と水素...
孝が米国留学後に、誠由の経営する同社に入社したのは23歳の時。... 孝は「初年度、次年度と赤字経営が続いた。経営に携わって大変だと思う場面はたくさんあったが、最も苦い経験の一つ」と振り返る。
わくわくは終わらない 「私にとって会社経営とは、終わりのない芸術作品の制作」―。吉田博は、1985年に36歳で富士電工の社長になり、今日まで経営に携わってきた。... その...
新興勢が猛追、環境激変 富士電工は、1986年に日本ビクター(現JVCケンウッド)の要請を受けてシンガポールに進出し、加工も手がける電線問屋となった。程なくして富士通...
博が米国留学で得た知恵を経営に生かし始めたのはこの時かもしれない。 ... 海外事業が経営の重要な柱になっていく。
異国での経験、経営に生きる ブロンドの髪に真っ白な肌、ブルーの瞳。... 異国の地では、後に社長となる富士電工の経営に生きる経験が多かったという。... 博は経営のターニン...
「今日はご満悦です」―。 5月17日、二村機器は販売代理店で構成する「ワシ会」の総会を名古屋市内のホテルで開いた。4年ぶりのリアル開催は和気藹々(あいあい)とした雰囲...
「せんせい、えほんをよんで」。乳幼児たちの明るい声が響く「スマイル奏保育園いわつか」(名古屋市中村区)は、二村機器が2018年に開設した企業主導型保育園だ。自社のほか、提携先企業の社員...